IN THE HOUSE

Presented by Liki Trike 馬渡和彰 × 小針清允

J3でスタートした時から、
必ず家族をJ1に連れて行くって決めていた
J3でスタートした時から、
必ず家族をJ1に連れて行くって決めていた

プロのサッカー選手としてのキャリアを、J3リーグから始めた馬渡和彰さんは、プロ1年目にして奥様とお子さんがいらっしゃるという異例のスタートを切りました。しかしそこからの目覚ましい活躍で、ついに昨年のJ1優勝チーム川崎フロンターレへ。ここまでの道のりは決して順風満帆ではありませんでしたが、家族がいたからこそ頑張ってこれたのだと振り返ります。

「家族がいたから“頑張れた”っていうか、”踏ん張れた”のほうが正しいかな」

小針
プロになろうと思ったのは、大学でサッカーやってる頃から?

馬渡
初めてプロを意識したのは、高校生の頃だったと思います。でも、具体的にどうすればプロになれるかなんてわからなくて。より明確にプロを意識し始めたのは大学生の頃のこと。先輩がプロへ行くようになって、このぐらいのレベルに成長すればプロに行けるんだって、自分でも考えられるようになりました。

小針
学生時代のサッカー部はどうだったの?

馬渡
自分が3年生の時に、関東大学リーグで優勝して、創部史上初めて1部に昇格したんです。レギュラーとして活躍出来たことと、ベストイレブンにも選ばれたことで本気でプロを意識しました。

小針
盛り上がっちゃったわけだ。で、どうやってプロになろうとしたの?

馬渡
いわゆる就職活動の時期に、いろいろなチームの練習に参加しました。そこで認めてもらえると、道が拓けるので。最初は東京ヴェルディ、その次に大宮アルディージャ、京都サンガF.C.や横浜FCも行ったし。

小針
そこで、うちに来ないか?みたいな話が。

馬渡
いくつか興味を持ってもらっていたんですが、チームの状況とか、昇格が決まったらとか、いろんな事情があって、結局年内には決まりませんでした。1月に入って、ようやくガイナーレ鳥取からオファーをいただいたんです。当時はJ3リーグはまだ設立1年目。そこに、お世話になることに決めたんです。

小針
鳥取には縁もゆかりないのに、決め手はなんだったの?

馬渡
ひとつは高校の先輩で、当時、鳥取のヘッドコーチに就任されたばかりの理己さん(※高木理己)に声をかけてもらったことです。前シーズンは京都のコーチで、京都の練習に参加したとき評価していただいていたことが、鳥取のオファーにつながりました。理己さんがいなかったら、僕のサッカー人生のスタートは切れていないです。

小針
鳥取で1年、一緒だったよね。ようやくプロの舞台に立ってみて、どうだった?

馬渡
あの頃の自分は、根拠のない自信がありました。開幕戦から出場機会にも恵まれて、緊張はしたけど、そこそこ動けてました。でも満足感はそれほどなくて、ここに留まっていちゃダメだ、上に行かなきゃって思ってましたから。ギラギラしてたかな、とは思います。

小針
そうだね。あの頃のカズは、ハングリーでがむしゃらな感じがすごく滲み出ていて、上に行くべくして行くんだろうなというのは感じていたよ。でも、その原動力は何だったの?

馬渡
ひとつは、先輩方の高い意識に影響されたんです。小針さんをはじめ、一毅さん(※倉貫一毅)とか戸川(※戸川健太)さんとかの話を聞いていて、とにかくプロとしての意識や考え方には圧倒されました。技術はあって当然で、差がつくのはメンタルの部分が大きいってことをすごく感じました。

小針
技術があって、その上で何ができるかってことが大事だってことを話したかもね。それと、サッカーを自分の中でどう扱うか。サッカー第一に考える気持ちが、すごく大事だってことも。でも、大切なひとには心配かけたんじゃない?

馬渡
はい、奥さんと子供ですね。

小針
鳥取来たとき、もう結婚してたんだよね。

馬渡
卒業前に子供が産まれたんですが、一緒に鳥取に来てくれました。家族がいたので寮に入らなかったんですが、当時の給料では奥さんにも働いてもらわないと生活していけなかったので、本当に苦労をかけました。周りの人たちからは『家族』のために『サッカー』は諦めて、働いた方がいいとか色々なことを言われましたが、僕は両方とも諦められなかった。そう言われれば言われるほど、それなら逆に両方とも掴みとってやろうという気持ちになりました。実体験のない言葉には、説得力がないように感じたんです。

小針
応援してくれる人は?

馬渡
唯一といってもいいくらい、最初から「おお良かったじゃん!」って、言ってくれた人のが大学1~2年のときの監督で、当時は大宮のユースで監督をされていた西脇徹也さん(現・大宮アルディージャ強化部長)でした。「どっちも掴み取っちゃえよ!」って言われたことが本当に嬉しくて。以来シーズン終わりやチームを移籍することが決まったときなど、必ず電話するようにしています。でも一昨年、強化本部長に就任されて、あまり気やすく電話できなくなっちゃったけど、今でも大切な恩師のひとりです。

小針
周りに恵まれたんだね。

馬渡
それは言えると思います。支えられました。

小針
家族のためにっていうのがあったんじゃない?

馬渡
正直、ありました。とくに奥さんは、結婚1年目で周りに友達がひとりもいない、親のサポートも届かない鳥取に付いてきてくれました。新婚で夫婦としても試行錯誤しているのに、子供もいて子育ての相談をする人もいない。そのうえ、アスリートの妻としての役割もわからないんですから。めちゃくちゃ喧嘩もしたし、何回も離婚しそうな時がありました(笑)。

小針
ホントに奥さんは、よく頑張ったと思うよ。

馬渡
辞めようと思えば、いつでも辞めて、ほかの仕事をすることもできたと思います。うちの奥さんは、結婚前からやりたかった仕事があったんです。それなのに結婚して、子供が生まれて、結局諦めざるを得なかった。でも俺にはサッカーを続けさせてくれたんです。やりたいことができていることを考えたら、弱音吐いて辞めるなんてできないですよ。家族がいたから頑張れた。「頑張れた」って言うか、「頑張るしかなかった」のほうが正しいかな。

小針
それはカズにとって、いいことだったんじゃない。

馬渡
今思えば、この経験があるからこそ、いま下のカテゴリーでプレーしている人たちに「頑張れ」って言える。家族があって、J3、J2で、どれだけ挑戦できるのかって聞かれたら、こういうふうにステップアップした選手が実際にいるよって胸を張って言えるんです。僕の実体験を伴っているから、説得力ある言葉になると思います。

「試合にでられないストレスは、子供たちと遊んで気分転換」

小針
鳥取で2年、その後、ツエーゲン金沢へ。移籍の経緯は、どういうものだったの?

馬渡
顔見知りの指導者とか、先輩とかも誰一人いなくて、プロ1~2年目の活躍を評価していただいてオファー頂きました。ツエーゲン金沢がJ2に昇格して2年目のシーズンを戦うタイミングでオファーをいただきました。年俸も含めて多少は楽になるかな?って思いましたが、苦しいのには変わりありませんでした。でも勝利給が全然違うので、それは生活面でもありがたかったし、モチベーションにも繋がりました。

小針
J2だと、J3よりチャンスも広がるよね。

馬渡
それもあります。当時のJ3はDAZNの中継もなかったので。見てくれるひとの目が増えれば、自然ともうひとつ上に行けるチャンスが広がるはずだって思いました。

小針
金沢では1年だっけ。

馬渡
はい。1年の在籍です。ですが、試合中に膝の骨が折れて、復帰したんですけど、リハビリを頑張りすぎて肉離れしちゃって。結局トータル半年くらい試合に出られませんでした。

小針
その年は21位で終わってる。

馬渡
チームの結果としては良くなかったですが、個人として推進力とか躍動感みたいなプレーは、毎試合出せてたという記憶があります。でも守備的な戦い方をしている中で、僕のストロングをどう出そうか悩んでいたのも事実です。

小針
それで翌年、徳島ヴォルティスへ。

馬渡
金沢で結果が出せていなかったのにオファーをいただけたのは、一毅さん(※倉貫一毅、当時・徳島ヴォルティスユースコーチ、現・監督)がいたからだと思います。

小針
鳥取の後、徳島だったね。

馬渡
そうなんですけど、じつは大学4年のとき、一毅さんがいた京都サンガF.C.から一瞬声が掛かりそうだったんです。その年のJ1昇格プレーオフで徳島に負けたこともあって、京都からはギリギリでオファーがもらえませんでした。その年に、一毅さんが京都から鳥取に移籍したので一緒にプレーすることができたんです。引退後、一毅さんは徳島でユースのコーチをしていて、僕のことを『やれるやつがいる』って推してくれていたみたいです。

小針
ルーキーイヤーからの繋がりが、ここまでのステップアップにつながってる。徳島はJ2とはいえクラブの規模が全然違うじゃない。

馬渡
学生の頃から徳島は環境が整っているということは知っていました。やっぱりJ1を経験してるので、それまでのクラブとはレベルが違いました。クラブハウスも立派だし、グラウンドも二面あって、さらに人工芝が一面。金沢との複数年契約に違約金払ってまで呼んでくれたのだから、試合に出て結果残そうと頑張りました。

小針
でも環境的にも金銭的にも、ある程度保証されてる中でカテゴリーに関係なく満足しちゃっている選手が多いとは感じなかった?

馬渡
満足している選手はいないと思いますが、そういう環境に長くいると自然にそうなってしまうのではないかと思います。僕はずっと選手として、ここで満足してはダメだと思っていましたが、中心選手としてプレー出来たし、監督のやりたいサッカーと僕のプレースタイルがガチっとハマったかな、とは思います。年間を通じて試合に出ることができて、活躍もできたので、すごく充実した一年になりました。

小針
文句ないじゃない。

馬渡
でも、J3からキャリアをスタートした時から、僕の中で必ず家族をJ1に連れて行くって決めていたんです。徳島でJ1に上がれたら良かったのですが、僕の力不足でそれはかないませんでした。最後、プレーオフ進出直前で敗れた試合は今でも思い出すことがありますし、キャリアの中でも忘れられない試合の一つとなりました。

小針
それでも、充実した1年ではあったわけだ。

馬渡
はい。ようやくプロのサッカー選手になれた気がして。奥さんには今まで我慢してもらっていたぶん、とりあえず家財道具を全部揃えました(笑)。2人目も徳島で生まれたんです。4歳差って進学のときとか、なにかと都合がいいので。

小針
家族も増えて、さらに上を目指すことに。サンフレッチェ広島からオファーがきた。

馬渡
シーズンが終わってからですね。ビッグクラブで、当時4年で3回優勝してるチームに誘われて、断る理由なかったです。結果的に広島では苦しみましたが、試合に出られない中でも成長できたと思っています。

小針
それは、どんなふうに?

馬渡
広島は伝統的に3バックなんです。前シーズンまでミキッチ選手という素晴らしいウィングバックがいて、前線は2シャドー1トップ。しかし、キャンプで取り組んだシステムは4-3-3や4-4-2。前シーズン残留争いをしたこともあり、守備的な戦い方に変わりました。攻撃が特徴の僕としては金沢の時同様、なかなか監督に認めてもらえるようなプレーが出来なかったんです。半年が経ち、試合に出たい気持ちも強くなり、年齢的にも一番しっかりプレーしないといけない時期とも思っていたので移籍させてほしいと言いに行きました。

小針
そしたら?

馬渡
「それは難しい」って返ってきました。しかし違約金を払って完全移籍という形であれば、広島としては防ぎようがないのも事実なんです。実際に、話はもらっていました。

小針
もしかして?

馬渡
そうです、徳島です。「帰ってこい」って言ってくれたんです。「レンタルがダメなら完全で獲るよ」って。代理人と話す中で、やっとたどり着いたJ1の舞台なのに半年でJ2に戻るのか、まだ広島でやり切ってないんじゃないかって。それは自分でも分かっていましたが、それでも揺らぐくらい僕はメンタル的にやられていたんだと思います。それからちゃんと冷静に考えたら、逃げちゃダメだなんじゃないか、とりあえずあと半年はやり切ろう。自分の出来ることをやって、それでもダメならその時は去ろうって結論に至って。徳島には申し訳なかったのですが、残る決断をしたんです。

小針
成長したなぁ。

馬渡
フリーキックの練習もめっちゃしたし、スプリントのトレーニングもめっちゃしました。苦しいなりに、自分で試行錯誤しながら努力してました。練習試合で毎試合得点を決めていたら、チャンスが廻ってきて、リーグ戦のラスト2試合連続で起用されたんです。

小針
自分で掴み取ったチャンスだよ。

馬渡
ラスト札幌戦のとき、3-4-2-1のシステムに変えてくれたんです。その時にスタメンで使ってくれたことで、ゴールを決めてギリギリで結果を残すこともできた。試合終了後、エージェントから電話がきて、よくやったって労ってもらえました。この1年、歯を食いしばってよく頑張った、そこで結果が出せたことには自信持っていいんじゃないかって。自分でも、すごく納得いったので嬉しかったんです。そしたら「ところで、フロンターレからオファー来てるよ」って(笑)。

小針
(爆笑)

馬渡
マジかって思ったけど、「行きます」ってその場で言いました。

小針
その1試合で、結果以上のものが来た。

馬渡
J1で4試合しか出ていない僕を、二連覇しているチャンピオンチームが評価してくれた。これ以上のことはないです。広島ではメンタル的に成長出来たし、コツコツやり続けることの大事さを改めて実感できました。それとチームの中に自分の良いところをすり合わせていく作業の大事さも。

小針
クラブと個人の擦り合せていくことは、大事かもしれない。

馬渡
それまでは絶対にJ1に行くんだ、成り上がるんだっていう気持ちでやってきたんですが、ビッグクラブには本当に上手い人たち集まっていて、自分の能力が人よりもズバ抜けてはいない状態です。そこでコミュニケーション取ったり、連携面含めて、チームのやり方の中に自分のストロングをどう出していくか。そこはめちゃくちゃ大事だなと。

小針
けどキツイよね。長期間、試合にでられないのにチームでプレーしなきゃいけないとか。

馬渡
苦しかったです。怪我もまったくないのに、マジで辛かったしキツかったです。

小針
その辛かった、キツイっていうのは、どうやって自分の中で消化していたの?

馬渡
いや、消化できなかったです。ひたすら、やることをやる。練習することで、もやもやした気持ちを打ち消してました。ただ、ストレスみたいなのを解消するつもりで、髪の毛めっちゃ染めてました(笑)。

小針
(笑)。それはどんな意味を込めて?

馬渡
2週間に1回ぐらい美容室に行って、カラーとかブリーチして色入れて。担当の美容師とめっちゃ仲良くなって、プライベートでも飲み行ったりして。2週間ごとに髪の毛が変わるんで、気分転換になったかもしれないですね。

小針
イライラの度合いによって色が違うとか(笑)?

馬渡
結構、金髪だったりしたのは外見からギラギラ感だそうかと(笑)。シルバーだったときもあります。一度「その金髪やめたら試合に出られるんじゃない?」って言われたこともありました。「金髪のカズのミスと、黒髪でしっかりしている選手のミス。同じミスでもカズのミスは軽率なミスに見えるんじゃないか?」って。とにかく試合に出られない状況を打破したかったので、一回黒髪に戻したんです。

小針
戻したんだ!

馬渡
はい。そしたらメンバー外になりました(笑)。

小針
かえってマイナスになっちゃってる(爆笑)。

馬渡
髪色は関係なかったです。その後、金髪に戻したらサブに戻れて、最終的にはスタメンまでいきましたから。

小針
いい息抜きになったんじゃない。

馬渡
あとは先輩たちに話を聞いてもらったり。いま考えると、めっちゃヤバいですけど、そこで結構ストレス発散させてもらってました。あとは、子供たちと遊ぶのも、気分転換に良いですね。

小針
男の子ふたり。やんちゃな盛りでしょ。

馬渡
上の子は、サッカーをやってるので、やっぱりボール蹴って遊ぶのが好きです。下の子もお兄ちゃんを見て必死にくらいついて遊んでいます。

小針
お父さんのこと、サッカー選手って認識してる?

馬渡
それはちゃんとわかってるみたい。でも下の子はどうだろ?いまベビーカーに、ドゥーナのリキトライクを使ってるんですが、これ三輪車になるベビーバギーなんです。外に連れ出すときはバギーがわりに、上の子がサッカーする広場の周りでは三輪車にして、ひとりで遊んでいます。

小針
子どもって三輪車でボール追っかけたりするよね(笑)

馬渡
簡単に折り畳めるので、奥さんが子どもたち連れて、地方の試合観戦に来るときも持ち歩きやすいそうです。新幹線の車内にも、飛行機の機内にも持ち込めて頭上の収納棚に収まるんです。

小針
毎回、試合観に来てくれるの?

馬渡
来れるときは、できるだけ来てくれています。だからサッカー中の顔も、プライベートの顔もちゃんと分かっていて、広島の時の僕はどこか暗くて、私生活にめちゃくちゃ出ていたみたいです。申し訳なかったです。

小針
そういう意味では今シーズン、川崎フロンターレでプレーしているカズはすごい楽しそうだよ。

馬渡
そうですかね(笑)。あとは、結果を出さないとです。

「もうひとつ上のステージに行きたい
という思いはつねに持っていたい」

小針
ところで今のクラブはどう?

馬渡
夢のような世界です。周りは有名な選手ばかり。中村憲剛、家長昭博、小林悠、大島僚太、去年ブレイクした守田英正、谷口彰悟や車屋紳太郎がいて、韓国代表の鄭 成龍がいる。エウシーニョが抜けたところに、俺が使われたりするわけじゃないですか。とんでもないところに来たなって思っています。

小針
施設も立派だよね。

馬渡
お風呂とか、スーパー銭湯みたいなんですよ(笑)。ここまで来たっていう嬉しさ反面、ビッグネームに気圧されて自信を持ってサッカーできない時もありました。

小針
チームに馴染むのは、どうだったの?

馬渡
川崎フロンターレのサッカーって、結構独特なんです。その中で、広島時代に気付かされたように、川崎フロンターレの馬渡和彰であろうとしてきました。だって、憲剛さん(※中村憲剛)に言われたら「はい!わかりました」ってなるじゃないですか。シーズン序盤は、自信を持ってる馬渡和彰としてのプレーもあったけど、時間が経つにつれ、どんどん自分を見失ってしまったんです。日を追うごとに、俺が俺じゃなくなっていく感じ。知らない間に川崎フロンターレの馬渡和彰でしか勝負しない自分になっていたんです。でも、そういうのは今年で終わりにしようと思っています。

小針
来年からは、もっと自分だす?

馬渡
そうですね。自分の良さを出しながら、メンタル面でも強くならないと。監督にも、もっと自信を持ってプレーしろって言われます。技術はあるんだし、やれば良いじゃん、て。でも試合でミスったりすると、ひきずってしまったり。俺の自信ってなんだったんだろうって思い始めてしまったり。

小針
それじゃ、いいプレーはできないね。

馬渡
そう思ってる時点で、ほかの選手たちと同じ土俵に立ってないですよね。リスペクトしすぎて自分が勝手に下手にでてたら、一緒のチームの仲間なのにいいコミュニケーション取れないし、向こうも気を使うじゃないですか。来年はいい意味で自分を出しながら、周りの目を気にせず、自分がどうなりたいか、そのために今何をすべきかを前を向いて考えていきたいです。

小針
ズバリ、目標は?

馬渡
日本代表に行きたいです。年齢的にちょっと厳しいかもしれないですけど、海外も行ってみたい。年齢だからと、諦めたくないんです。行けるところがある限り、もうひとつ上のステージに行きたいという思いはつねに持っていたいです。

小針
J1の上もクラスがあったらね、よかったのにね (笑)。

馬渡
まぁ、無いので(笑)。とりあえず今は目標は高くW杯出場、代表定着にしようと思います。そこから逆算すれば、いまやらなきゃいけないことが何なのかわかるはずですから。それと、J3から来た選手でリーグタイトル獲得した人ってまだいないので、その1番目になりたいです。(※取材後に横浜F.マリノスのGK:朴選手がリーグタイトルを獲得)

小針
来年だけではなく、この先どんなサッカー選手になりたいとか、思い描くものある? (笑)。

馬渡
下の子が父親がサッカー選手だったっていう記憶を残せるくらいまでは頑張りたい。まだ、ようやくひとりでリキトライクに乗れるぐらいになったばかりなので。この先、リキを卒業して自転車に乗り換えて、補助輪が外れるぐらいまではサッカー選手でいたいですね。

Liki Trike S3

世界初、チャイルドシートとベビーカーの完全一体型モビリティ、ドゥーナが2019年に新たにリリースした世界最小折りたたみ三輪車。舵きりモード、手押しモード、トライクモード、バイクモード、トラベルモードと5つに姿を変える三輪車で、生後10カ月から3歳まで乗れる。折りたたみ時のサイズは、32x60x22cm。車のトランクはもちろん、飛行機、電車の荷棚にも収納できる。2018年のケルン展示会でイノベーションアワードにノミネーションされ、既に世界70カ国で販売されている。ドゥーナ、リキはデザイナーの長女と次女の名前。新色ロイヤルブルーはIN THE HOUSEで先行販売開始。
Liki Trike S5

リキトライクにプレミアムS5が登場。機能性と美しさを兼ね備えたリキの洗練されたデザインで安全性と外出の楽しさを提案します。ボタン操作一つで簡単かつコンパクトにおりたたみ、ひろげることができます。車のトランクや飛行機の荷物入れにも簡単に収まる省スペース三輪車だからお子様連れの旅行も楽々。組み立て、工具不要なので箱から取り出してすぐに使用可能。軽くて耐久性のあるチャイルドシートと同素材の強化繊維ポリマーや、アルマイト加工を施したアルミニウム等、 ドゥーナの安全性、品質をリキにも応用しています。お子様の成長と共に変形し、10ヶ月から3歳まで利用可。

馬渡 和彰 – Kazuaki Mawatari


川崎フロンターレ
1991年生まれ。市立船橋高校、東洋大学からJ3リーグ・ガイナーレ鳥取入団。2016年J2・ツエーゲン金沢、2017年J2・徳島ヴォルティスを経て2018年、念願のJ1・サンフレッチェ広島へ完全移籍するも、リーグ戦出場は4試合1得点に留まった。しかし翌2019年、常勝チームである川崎フロンターレに移籍。怪我に泣きながらも昨シーズンを超える試合数に出場し、存在感を増している。


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小針 清允 – kiyomitsu kobari


1977年生まれ。ヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)、ヴィッセル神戸、ベガルタ仙台、栃木SC、ガイナーレ鳥取と渡り歩き、長らく現役を務めた。栃木SC、ガイナーレ鳥取ではJ2昇格に貢献する活躍をみせている。現在はパーソナルトレーニングジム、X Body Lab吉祥寺店を運営。南葛SCのGKコーチ兼選手も務めている。アイコンはドレッドヘア。


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X Body Lab吉祥寺店


Producer:Kazunari Suzuki (IN THE HOUSE)
photographer : Shota Tatekawa (IN THE HOUSE)
Editer: Yasuyuki Ikeda (zeroyonlab.)
Special Thanks:Ayano Kariya (doona Japan)

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